脚本とは「自分の生という楔を現実に打ち込む作業」である。学生時代はそう思っていた。自分という存在を投げつけてあちこちにぶつければ、気の利いた台詞のひとつやふたつ出てくるだろうと。
もちろん今でもそう思っている。未だに職業脚本家としては半人前だが。
正直、脚本という作業に昔程に書かずにはいられないといった湧き上がるものを感じていない。かつて魅了し続けた総合芸術としての映画。映画を通じて世界が広がる感触。中学生の時、TVの深夜放映していた『ミニョンにハートブレイク』を観た時の様な、新しい出会い、そして終わった後の堪え難い余韻。映画にそういう体験を持てないでいる。
魂を揺さぶるものではなく清涼飲料水のような一時的なカタルシス。
それが自分にとっての映画だ。昔ほど若くないからかもしれない。
今映画を志したい若い世代はどれだけいるだろうか?
勿論いると思う。ただその温度は明らかに冷めているだろう。大学生の時、北野武氏がベネチアでグランプリを受賞した。まさに胸躍る事件だった。
今はゲームやエンジニア、ITの世界の方が社会的ニーズ、求人のキャパシティ・安定したサラリー・ビジョンがあると思う。
でも映画だ。
そう言える何かを自分自身、再確認したい。
40を迎えた小さな軌跡と今後の指針を見る意味として、錆びついた楔を打ち込んでいきたいと思う。