一過性の希有な事件ではなく、土壌深くに根を張る菌糸の様に、
ハリウッドだけではなく、カトリックでも長年に渡り、
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一過性の希有な事件ではなく、土壌深くに根を張る菌糸の様に、
ハリウッドだけではなく、カトリックでも長年に渡り、
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最近、ゲイパレードへの垣根が下がってる気がする。
知人からよく「TRP行った?」などと聞かれたりする。昔はパレードに参加するのは限られた一部のゲイだった気がした。(未だ参加した事はないが)
「汚濁の御子」
以前そのような作品を書き上げた。今見れば当時影響受けた「リリイ・シュシュのすべて」「その男凶暴につき」「エヴァンゲリオン」「渚のシンドバット」等のシーンを意識か無意識化でパッチワークの様につなぎ合わせた作品だった。
脚本とは「自分の生という楔を現実に打ち込む作業」である。学生時代はそう思っていた。自分という存在を投げつけてあちこちにぶつければ、気の利いた台詞のひとつやふたつ出てくるだろうと。
もちろん今でもそう思っている。未だに職業脚本家としては半人前だが。