脚本セラピー

以前、自主作品用に書き上げた脚本を執筆する過程で、
自分が所謂『機能不全家族』で育ってきた事を偶然認識した。

仕事依存症で暴力的な父。干渉的な母。いわゆる『毒親』。

好きでもない学問も、興味のないスポーツもスパルタ。
そして興味を示したものには完璧を要求された。

そして父方の祖父母を喜ばす道化として幼少期を育った。

普通の小学生だったら心待ちの日曜日も、早朝からサッカーの練習。
しかも父がチームの監督だった。胃潰瘍にならなかったのも不思議だ。

このころから自分を押し殺す術を学んだ。

だから脚本を書く事が苦ではなかった。
面白がって自分の傷跡を台詞にちりばめた。
あたかも、少女の自傷行為の様に。

脚本でトラウマの切り売りをしてきたと言っていい。同時に

無意識的にトラウマの棚卸しをしていたのだ。

その頃から精神病理学や認知療法、スピリチュアルな文献を読む様になった。
セラピーやヒーリングを受けた事もある。
中でもringoさんという方のセッションが非常に良かった。

直近の恋愛相手が2人続けて、バイセクシャルな人だった。しかも2人とも長男だった。
その当時、自分の中で「同性愛<異性愛」という図式があった。

相手を好きでいながら、好きだからこそ、ゆくゆくは同性愛の世界より異性愛に収まってほしかった。

自分の恋愛パターンは「自己犠牲。そして同性愛は下。」そういう認識があった。

その恋愛は成就する事なく、その思考通りになった。

過去に性的に好きでもない相手と付き合った事もある。

何故付き合ったのかと言えば「自分がいないと可哀そう」という想いだったと思う。

ringoさんとのセッション中に母にカミングアウトした。

正直、同性愛の権利云々には興味はない。
ただやましさを持ちたくなかった。自分の想いに蓋をした生き方をこれ以上したくはななかった。

自分が押し殺して無視してきたインナーチャイルドに目をやろうと思った。


(参考文献)