シン・ゴジラ (2016)

監督 庵野秀明(総監督), 樋口真嗣
主演 長谷川博己, 竹野内豊, 石原さとみ

アニメーター畑の実写作品は正直好きになれない。俳優を声優の様に使うからだ。

以前、押井守氏がハリウッドの実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』を評して、アニメは実写(現実)を凌駕したと述べた。

押井氏のリアリティ溢れるミニマムな演出、世界観は昔から好きである。

だからといってアニメが実写を凌駕したとは微塵も思わない。

実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』はオリジナル(原作は漫画であるが)あるアニメ版と同じベクトルで勝負した為に負けた。アニメ版は石野卓球らテクノクリエイターがイメージサウンドを作ったりして話題性もあり、緻密な世界観も巧みな映像表現も見応えがあった。

稀代の映画監督北野武氏を用いても、ハリウッドの最新映像技術を用いても実写版は、20年前のアニメ版叶わない仕上がりであった。ただそれは作品の世界観とアニメ融和性の問題であって、決してアニメは現実(実写)を凌駕したなど言えない。

試しに前述した北野武氏の代表作『ソナチネ』をアニメ版にしたらどうだろう?アニメーターによっては新しいタッチのクオリティの高い『ソナチネ』が仕上がるかもしれない。しかしおそらくオリジナルを凌駕する作品は出来ないと思う。いくらアニメの描写力が高くても。

アニメーション監督としては世界トップレベルの押井守氏も実写を撮っている。『ケルベロス』『アヴァロン』。ジェームスキャメロンには高く評価されたらしいが、アニメーションほどの評価はない。余談だが大友克洋も実写を監督した。

前述した通り

アニメーター畑の監督は俳優を声優の様に使う

為だと思う。

アニメーションというフィルターを通せば違和感なく聞こえる会話も、実際生きている人間はこういう話し方はしないだろうという思いがある。大概の作品が、作為的縫い目が見えて白々しいのだ。アニメーター監督は気づいているのだろうか?世界観や物語を伝えるのに精一杯で、実際に生きてる人間を描けてない事に。生きている人間はそんな都合よく動かない事に。

話は逸れるが宮崎作品は俳優や歌手など個の活躍が強い人材を声優によく使う。その事でキャラクターの肉付けがより一層強くなる。

そういった状況の中で、私は庵野監督の実写が好きだった。庵野監督が撮った村上龍原作の『ラブ&ポップ』が優れていたからだ。庵野監督はこの作品をフィルムではなく当時大ヒットしたデジタルビデオカメラSONYのVX-1000で撮り上げた。VX-1000の奥行きのない生っぽい質感が、女子高生の援助交際という主題をより一層リアルに際立たせた。そしてエンディングのスタッフロールで監督はVX-1000ではなくARRIを用いた。渋谷の宇田川を女子高生が『あの素晴らしい愛をもう一度』を口ずさんで闊歩する。私はこのエンディングロールが好きである。雑居ビルの狭間に流れる宇田川を、可憐で美しいが薄汚れた少女がカタルシスを求めて歩き続ける。清と濁の美しいコントラストをフィルムに焼き付けた。

前述が長くなったが庵野監督の『シンゴジラ』を拝見した。ゴジラが幼虫から成体への変体の過程、そしてゴジラ圧倒的な力で人間社会を駆逐するシーン以外、正直言って好きではなかった。

あの畳み掛けるような官僚や政治家による会議のシーンも、リアルに感じられない。

英語と日本語を使い分ける日系政治家も、香貫花クランシーとは違って、見てる方が赤面する程のキャラクターだった。

それでも映画前半、日本映画を代表する俳優陣、大滝連、柄本明、國村隼、鶴見辰吾、余貴美子らが出演してた時は緊張感が保てたが、後半は全く知らない若手役者ばかりで単調だった。

次作があるような終わり方だったが、ゴジラの圧倒的パワー、往年の役者陣がもう見せられない第2弾でどれほどの作品を庵野監督は魅せてくれるか楽しみである。